会社の概略




《日本一の製綿》


浅野藩時代には

既に綿操屋として広島で営業しており、​

主力製品には、

「不二わた」「天使綿」がありました。​

昭和期は、朝鮮半島、中国に工場を進出。​

本社工場の他、

広島県千代田、豊平、大分県、京都府など

10工場をもち、​

昭和期には

全国一の生産量を

誇るようになりました。






《わた の 藤野》

藤野家は、

藩主浅野候の紀州和歌山からお国替えに

なった時に随伴し、

綿屋をもって稼業として

「富士屋」と称していました。​

そして、

広島で十数代、

約400年の歴史が

分かっています。






《沿革トピック》

■ 明治後期に、業界に先駆けて、

カード式製綿機にて

近代化生産開始します。


■ 全国への販路は、

大正期に九州福岡を手掛かりに、

九州全域、四国、北海道、大阪中心の近畿、

横浜中心に関東、ハワイ、

台湾、朝鮮、中国などに及びました。


■ 昭和前期には、朝鮮半島に進出後、

半島の生産の約4割を

藤野の綿で

占めるようになります。


■ 日本製綿連合会初代理事長を輩出。


■ 昭和後期には、

全国一の生産量を誇るようになります。


■ 関連会社は、

藤野衛材工業株式会社、

富士硬質硝子株式会社 

などがありました。





■1984年(昭和59年)廃業。





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